すい臓がん 母の余命宣告を乗り越えてからと残されていた遺言などの話

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命の宣告

母は余命宣告を本人には告げられていなかったが、余命宣告期間を乗り越えたあたりから黄疸が出始めていた事から父は母の状態を本人に伝える決心を決めた。
その内容は余命の期間を告げる事ではなく「末期」である事を伝える事であった。
何故そうしたのか、それは父はまだ諦めていたわけではなく、少しでも長く生きてもらうための闘病生活を送るためであった。
色々な治療をするにあたり、本人に理解をしてもらうためだ。

本人はとても驚いていた。
「私末期なの?」と聞き返して来たという。

祖母のお見舞い(父の母)

もうしばらくの間父の母に私の母は会っていなかった。
これは仲が悪かったからではなく、普段から母が祖母に会いに行く事はあっても祖母の方から来る事はなかったからで、急に会いにくれば母が不審がると父が思っていたからだ。

しかし父も母に黄疸や熱が出る事が増えて来たため、万が一を考えて病院に祖母をお見舞いに連れて来た。

父は祖母にいつも通り振舞うよう言っていたようだ。

しかし病室に入って少し経つと祖母はやはり泣いてしまった。
それは母がとても痩せてしまっていたから。

可哀そうで仕方なかったのでしょう。
父は「泣くな」と言って祖母を連れて帰りました。

最後への準備

母はそれからしばらく経って教会で洗礼を受けることを決めました。

もともと母は高校などもクリスチャンの学校に行っていたようですが、特段生活上ではそれを意識させる事はありませんでした。
家庭はなんとなく「無宗教」的な感じだと私は思っていたので驚いた半面、母は死ぬ事に対して最後はどのようにして欲しいと言う願いがあったようです。

またホスピスにも入りたいと言っておりました。
ホスピスは末期の患者が最後に人間らしく生活する場所です。

本を購入したりしていたようです。

そして最後の1週間

母は高熱が出るようになり始めていました。
それでも自分でトイレに行っていました。

食欲はほとんどなく、グレープフルーツが食べたいといつも母が言うので冷蔵庫に父がグレープフルーツを買い置きしていました。
それを自分で切って、食べると言うよりジュースのようにスープを吸っていました。

痛みも強くなって来ていたのか、モルヒネの量も増えており意識がほとんどないようにも見えました。
しかしトイレに行きたい時は私の方を借りて移動して頑張っていました。

そして看護婦さんから「ご家族の方はこの部屋に宿泊して貰っても大丈夫です」と言われました。
私は「今日や明日に亡くなると言う事ではないですよね?」と聞いたところ「・・・多分大丈夫だとお思います」との返事でした。

そのため父と相談して私がまず泊まる事にしました。
その日の夜も母は私の方を借りてトイレなど行っていましたが、だんだんそれもしんどくなってきたようで、最後は私がおんぶしてトイレまで連れていくような感じでした。
それでもオムツは嫌だったようです。

しかし思い返せば私はその時出産予定日2週間ほど前でした。
よく母をおぶって移動したものです。火事場のなんとやらでしょうか。

それと同時に娘がお腹の中でとどまってくれていたから出来た事とも言えます。

最後の日

母の母、つまり私の祖母も久しぶりに母に会いに来ていました。
泊まっていた私と交代するため父は一旦帰宅してこれから宿泊したりする準備をするために帰宅したのです。
父が帰宅して30分ちょっと経過した頃でしょうか。

私もちょうど夕飯時だったので、少し席を外して病院の1階にある自動販売機でコーヒーのようなものを飲んで休んでいました。
部屋には祖母がいました。

その時です、看護婦さんが「すぐに部屋に戻られてください」と言われました。
慌てました。
急いで病室に戻りました。

母の容体が悪いようでした。
すぐに父に電話をして戻るよう言いました。

祖母はなんだかちょっと不安定になってしまったのか「おはぎの話」をなぜかしていました。
こんな大変な時に意味がわからないとその時は思っていましたが、きっと祖母もどうしていいのかわからなかったのかもしれません。

20分程で父が兄を連れて戻りました。

父がカップラーメンにお湯を入れて食べようとした時に連絡が入ったとの事でした。

兄は母が入院してから初めて病院に来ました。
母の姿を見て静かに涙を流していました。

その時です、さっきまでほとんど何の反応もなかった母が突然横たわったまま手を空に何かをつかむような姿をしながら何かを言おうとしているのか立ち上がるかのようなしぐさをしました。

父は「どうした!○ちゃん※母の愛称 何がしたいんだ。どうした」と声をかけました。
しかしその手はしばらくするとパタッと下がり、そして心臓は停止しました。

そう、そのまま母は亡くなりました。
家族に見守れる中で亡くなる事が出来ました。

父が、兄が間に合って本当に良かった。

母の50年と言う短い人生は終わってしまいました。

その後はバタバタと自宅に連れて返る準備などに入った記憶があります。

母はきちんと洗礼を受けていたので、希望通りキリスト教のお墓に入る事ができました。

母の遺言

母は生前誰にも言いませんでしたが遺言を残していました。
この遺言は父が今も持っています。

私や兄にへのメッセージも入っていました。
明るく、元気に素敵な女性になりなさいと言うような事が書かれていたように思います。

父に対しては感謝の言葉が書かれていました。

父と結婚して幸せだったと。
夢をみさせてくれてありがとうと。

そう書かれていました。

この遺言を書いているとき母はどんな気持ちだったでしょうか。
まだ50歳。

闘病中は弱音をほとんど吐かず、辛いとも言わず、人間らしく生きたいと願い、死の直前まで頑張った母。
私は尊敬します。

最後になりましたが・・・何故母がすい臓がんになったのか。
さっぱりわかりません。

お酒も飲まず、煙草も吸わず、暴飲暴食もせず、お肉も父にたくさん出して自分は我慢するような母が何故がんになったのか。

きっと神様の傍で幸せに今もお花を眺めているように思います。

少しの後悔としては、私はもっと大人だったなら。。。母が入院している時にもっと献身的でありたかったです。
私は子供のままでした。
甘えてばかりいました。
マッサージしてあげればよかったな。

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