すい臓がん 母の手術後の先生の説明

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すい臓がんの手術は成功しました

母のすい臓がんの手術は無事に成功しました。

先生の説明ではすい臓のガンの部分や胃の3分の1ほどを切除したとの話でした。
また1か月程で退院できるとの事でした。

当然なのかもしれませんが先生は手術に慣れていらっしゃる。
母の切った患部を持ってきて私たちに見せて説明をされました。
まだ学生だった私は少し衝撃的な状況でした。

その後すい臓がんに関する詳しい説明がされました。

正直、正確には覚えていないのです。
先生の説明の途中から涙が出て来てしまい、うまく理解できなかったかもしれません。

父はただ静かに聞いていました。

そうだ、兄はいなかった。
いなかったんだ。

生存率の話し

 

先生の説明で術後1年の生存率、1年半、2年、2年半の生存率と話をされました。
その時に、ある年数を経過したところで生存率が驚くほど低くなる時点がありまして。。。

うまく言えないのですが「え?」と思った事を思い出しました。

つまり、母は○年後生きていられないと言われたのだろうか、そんな事をぼんやり考えていました。

母は手術後眠っていましたし、もう外は暗くなっていましたので父と父の運転する車で帰宅する事になりました。

父は小さな声で「俺はもう泣いたからな、もう泣かないと決めたんだ」と言いました。
隣で泣いている私に語りかけたものでした。

父と私

実はこの頃、中学くらいから始まった思春期特有の反抗期で父とはほとんとど話をしなくなっていた私なのです。

都合のよい時だけ父を頼り、本当にワガママをしていました。

私は私立の高校に進みたいと思っていたのに、父に近所の県立を勧められた事でも父を嫌いだとも思っていました。
当時は進みたい道があり、その道に近く推薦も貰える私立に行きたかったのです。

結局母の口添えがあり、私立の高校・短大に進ませて貰えた私でしたが、当時思っていた道に進む事はありませんでした。

将来の夢と言うのは、外的な要因でも大きく変化するものだと今ならわかりますが、当時は頭がカチカチでしたから(笑)
それでも母の口添えで私立に進み、何不自由なく暮らしていた私にとって、母がいなくなると言う事は受け入れがたいものでした。

現実逃避して考えるのをやめる事もありました。

でも、母の病気がわかり、父と一緒に病院にいったり、待合室で一緒に過ごすようになり、父との距離が変わっていったのです。
それも母のおかげなのかもしれません。

また父の母に対する献身的な看病と病院に通う姿に心がうたれたのだと思います。

後悔

毛呂山はとても遠く、母の術後私は1か月の間に1度か2度しか見舞わなかった事を今は後悔しています。

術後会いに行った時母はもちろん辛そうにしていましたが、自分がどのような状況なのかまだ知らさせていませんでした。

でも病室はなんとなく暗く、見せてくれた手術のあとはお腹に大きく縦にありました。
そこをホチキスみたいなのでとめた跡がありました。

この後は母が退院してからの様子をまた書いて行きたいと思います。

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