まず最初に・・・前回18トリソミのさくちゃんを応援する記事でも書かせて頂いたように、ダウン症の方や手の不自由な方など色々多岐にわたる方たちをどのように記事では表現して良いのか悩みますが、今回はハンディキャップと書かせて頂く事をどうぞお許しください。
私は初めて意識的にハンディキャップをお持ちの方に会ったのは6歳の時です。
ただしこのハンディキャップは外見上ではぱっとわからない、こちらも表現は適当かわかりませんが知的な部分でのハンディキャップをお持ちの方の話です。
そう、たすく君(仮名)は私の年長クラスのクラスメートでした。
私は引っ越しをして来たため保育園の年長さんから通い始めました。
家に祖母はいましたが、両親が共働きでしたので朝早くに保育園に登園しました。
クラスで2番目に登園しました。
先に来ていたのがたすく君です。
教室内に遊ぶものがいくつかあるのですが、その中の二人でも乗れるし一人でも乗れる不思議な乗り物のような遊具がありました。
初めての園で勝手がわからないものの、子供ですので好奇心旺盛です。
早速空いていたその乗り物にのってゆらゆら揺れてみました。
すると離れた場所にいたはずのたすく君がやって来て何も言わずに私の前に乗って来ました。
すぐ体がくっつくような乗り物でして、反射的に名前も知らない体の大きなたすく君が突然来た事に驚くと同時に怖いとか嫌とかそんな感情がたすく君を「どん」と前に押しました。
でもたすく君は知らん顔。
私はどいて欲しいと思い、さらに押しました。
するとたすく君は「え~ん」と泣いてしまいました。
ちょうどそれを見ていた3番目に登園して来たらしいゆかりちゃんが「あ~泣かした」と大きな声で言いました。
すると先生がとんで来てたすく君をなだめていました。
先生は私を叱りはしませんでした。するとゆかりちゃんは「たすく君はちょっと違ってわからないから優しくしないと駄目だよ」と教えてくれました。
どんなハンディキャップだったのかなどはもちろん子どもなので説明されませんし、今もわからないのですが。。。なんとなく「ああそうなんだ」と思った事を覚えています。
それからはたすく君を怖いと思う事もなかったし、意地悪してしまう事もありませんでした。
たすく君のお母さんはとっても優しかったし、たすく君も優しい子でした。
ちゃんとお話したりは出来なかったけど、みんなと不思議と混じって遊んでいたしがき大将達も決してたすく君を邪魔にしたりいじめたりする事はありませんでした。
運動会の時もお父さんは来られておらず、小さな体でお母さんは一生懸命たすく君を肩車して騎馬戦にも参加していました。
今日、なぜこんな話を書いたのかと言いますと・・・
子供は小さい頃から色んな人たちと一緒に生活する事でたくさん学び助け合う事すら当たり前の事と思う人間になれるのではないかとふと思ったからなのです。
私はたすく君を決して自分よりどうだとか考えて生活した事などなかったなと思うのです。
みんなもそうでした。
大人になるにつれ環境として、同じ空間でそのような方達と接する時間はほとんどなくなっていきます。
すると何故か「特別」な存在に思えて「どう接したら良いのか」がわからなくなってしまうような気がしています。
それは「遠慮」とか「気遣い」のつもりなんですが「どうして目が不自由なの?」と聞いてはいけないような気がするからです。
つまり相手の事をハンディキャップだけでなく色々仲良くなりたくて知りたいけど、聞けない自分がいるのです。
子供の頃近所にえっちゃんと言う片方の手が少しだけ不自由な女の子がいました。
見ると気が付きます。
でもえっちゃんは自分から「えつこはね、ママのお腹の中にいた時にへその緒が手に巻きついてしまったんだって。だからこっちの手が小さいの」とお話してくれました。
子供ながらに理解をしたし「そうなんだね、わかった。えっちゃんが困った時は手伝うよ」と思いました。
それと、それ以降えっちゃんを特別だとはやっぱり誰も思いませんでした。
こんな風にお話してくれると「どうしてなんだろう」って聞いちゃいけないと言う気持ちが生まれず、すごくニュートラルな気持ちで相手と接する事ができるように思うのは私だけなのでしょうか。
でもやっぱり、自分のそういう話はしたくないものなんだろうか。
すごく難しいですよね。
知りたいは決して「根ほり葉ほり聞きたい」ではなく「あなたを知りたい」のひとつなんですけど、それはなかなかわからないものです。
ただひとつだけ、どんな病気やハンディキャップも誰にも隠す必要はないし、名前や形が違うだけでみんな違う一人ひとりで、目に見えない悩みや心の傷色々あるものですよね。
程度が違うではないかと叱られるかもしれません。
私が言いたいのは「みんな一緒で大変」ではなく、みんなが違う事をわかった上で折り合いをつけて理解をして生活して行けたらよいなと思うと言う事です。
その第一歩に理解のために自分の情報を少しでも教えてくれたら、もっともっと早く仲良くなれると思うのになと思ったのです。
そして色々な人たちに囲まれる事で、子供達も自然とそれが「当然」であると思えるように育つではないかと理想論を振りかざしてみたりしたのでした。
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